2011年12月25日

「まだ、まにあうのなら」「聞いてください」

世間はクリスマスでにぎやかだというのに
一日中、読書ざんまいで過ごした3日間でした。



坂田静子著 「聞いてください」

甘蔗珠恵子著 「まだ、まにあうのなら」

広瀬隆著 「福島原発メルトダウン」


23日は気がついたら日が暮れていました。

24日は心の底からこみ上げてくるエネルギーにじっとしていられなくなりました。

そして、今日25日。


本を読みながら
こんなのんきに「こんなことをしていていいのだろうか?」
何かに急き立てられるような・・・気持ちになりました。

こんな気持ちになるのは、何年ぶりでしょう。

こども達が小さかった頃
上の子が3歳、次女が生まれたばかりの頃でした。

チェルノブイリでの原発の事故があり
黒い雨が降る・・・
死の灰が飛んでくる・・・
大騒ぎしたことを、すっかり忘れていました。

でも、思い出しました。



あの頃、

原発が安全だというなら、

何故、東京のど真ん中につくらないんだろう、と思いました。


何故、地方の海辺なの?

そんな素朴な疑問を持っていました。


原発の周りの「シロツメクサ」の花の色が

紫ではなく白になる。

野菜は巨大化する。


ガンや甲状腺異常の病気が
そして異常出産が多発する。


すっかり忘れていましたが

福島原発の事故でいろいろな情報を思い出しました。



その子供たちが

これから子を産み育てていく年齢です。


何か行動に移さなくては・・・・。

子供たちや、その子供たちの未来が心配です。



2011年12月15日

言葉の獲得

「挙措」

きょそ・・・と読みます。

この年齢にして
恥ずかしながら辞書を引いて確認した言葉です。

意味は、「立ち居振る舞い」のこと。

「挙措を失う」 とは
どうしていいかわからず、取り乱すこと。


なるほど。

2011年8月21日

人生物語

人生というのは、
無意識に繰り返される台本というものがあって
私たちは、幼いときから埋め込まれた台本を、
相手を変えながら反復しているそうです。

それは、
幼いころに特別な他者と形成した台本を、
相手役を変えながら反復しているということで、1歳半ぐらいで
その反復する基本的な台本を形成していると言われています。

交流分析ではこの台本を「脚本」といいます。
以下、脚本と書きます。

私たちには、そのころの記憶はほとんどありませんから
そのとき関わった親や兄弟姉妹、外的な環境が
私たちの脚本に多大な影響を与えていることになります。

脚本に影響を与えるものは2つあります。
一つは「禁止令」です。もう一つは「拮抗禁止令(ドライバー)」です。

幼いころに味わった苦痛な体験や
親が日頃から示した不合理な態度を
子供の側からとらえてわかりやすい言葉に言い直したものが「禁止令」です。

たとえば、
仕事ばかりしている仕事中毒の父親を見て成長したために
「生活を楽しんではいけない」といった解釈をして
心の底から人生を楽しむことができないことがあります。

私自身がこの脚本を長い間持っていました。
伴侶にもそれを求めていたように思います。

もう一つ
前回の「同僚とのかかわり」でも書いていた
わたしがいつも心の中でつぶやいてしまう
「一歩外にでたら愛想よくしていなさい」
「周りを喜ばせなさい」です。

これが「拮抗禁止令(ドライバー)」です。
これは親から与えられたメッセージで
心の底に染み付いていますので

そうしないではいられない強烈なメッセージとして
何かのたびに頭をもたげてきてしまいます。
無意識のうちに行動しているといったほうがいいかもしれません。



交流分析ではこの脚本を書き直せるといいます。

書き直すためには、まず、自分の脚本に「気づく」ことがポイントです。















2011年8月10日

その「問題」とは・・・

さて、
前回お話した同僚とわたし。
なぜだか、いつも後味の悪い会話になってしまいます。

その原因はどこにあるのでしょうか。

カウンセリングの理論のひとつに「交流分析」があります。
人とのかかわり方を気づかせてくれる絶妙な理論で手法です。

(心理学を究めていなくても
身近なところで活用できますので、かるく読み進んでくださいね。)

交流分析では、
人が人と関わるときに、誰もが3つの自我状態を
バランスよく調整しているといいます。

その3つの自我状態とは

1、親の自我状態 (P)
2、大人の自我状態 (A)
3、子供の自我状態 (C)   

です。


私たちは、
その自我状態を、無意識のうちに
言葉や表情、そして態度となって表現しています。

わたしは子供の自我状態で同僚に話しかけました。
同僚はわたしと同じ子供の自我状態で言葉を返してくれるものと期待していました。
ところが、同僚は親の自我状態でわたしに言葉を返してきたのです。

気持ちよい交流ができるはずもありません。

考えてみれば、
同僚はいつも周りを不機嫌にさせるのを得意としています。
「生活を楽しんではいけない」
そんな禁止令をもっているのかもしれません。

わたしも
「周りを喜ばせなさい」
というドライバー(拮抗禁止令)をもっているのかもしれません。

もっとおおらかに
ほのぼのと生活したいですよね。


2011年6月29日

テスト投稿1

テスト、テスト

ある日の同僚

ある日
いつものように、ちょっとお茶菓子を買おうと、
職場近くのお菓子のスーパー「ダイトー」に向かいました。

そこは、一本道を隔てたところの、
目と鼻の先、歩いて1分ほどの近さです。

その日は隣接するビルの外壁メンテナンスがはいっていたため、
少し遠回りをしなければなりませんでした。
といっても、
いつもの倍ほどの距離になっただけなのですが、、、
妙に遠く感じます。

その時、
前方から同僚が歩いてきました。